2011年1月の霊想

  真の危機管理 (1月2日)

心臓疾患の治療を劇的に変えた医療技術にカテーテルがあります。私は数年前、左胸の痛みが長期間続いた時、この検査を勧められました。医師から「心臓は命にかかわるところです。転ばぬ先の杖、今の内に検査を受けてみて、何も異常が無いとわかれば、今後は安心して過ごすことができますよ」と勇気づけられ、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで検査入院。結果は異常無し。胸痛の原因も他の部分のせいとわかりました。
 その後、再び胸の痛みを感じる時はあります。「もしかして心臓では…」という不安がよぎらないと言ったら嘘になります。しかし、「だからあの時検査を受けたのだ。そして問題なしと保証を受けたのだ」と平常心を取り戻すことができるのは何よりの感謝です。
 真の危機管理とは、問題が起きた時に対処することではなく、このドクターのように、やがて来る危機に備え、安全な今のうちに準備をすることです。
 死の問題が解決されているクリスチャンとはこのようなものです。生命を脅かされるような事態に出会っても、イエス様の十字架によって罪赦され、永遠の命が与えられている恵みを覚える時、不安は消えていきます。死は終わりではないことを信じ、知っているからです。
 新年の初め、命の源がどこにあるかをしっかり確認し、平安に満ちた一年を送って参りましょう。   (M)

  霊の糧 (1月9日)

   イギリスの雑誌編集長宛に、ある男性から手紙が届きました。
「過去30年、教会の礼拝に通い続け、およそ3000回の説教を聞いてきたが、一つも覚えていないので礼拝に説教は不要ではないか……。」
 彼は説教の存在価値に疑問を投げかけてきたのです。
 この手紙に答えるべく、たくさんの手紙が送られてきましたが、どれもこの男性の疑問に答えきれませんでした。しかし、とうとう、この一件に決着をつけてくれた1通の手紙が届きました。
「私は結婚して30年になります。その間に食べた食事は32、850食です。ある時、私は突然気づかされたのです。たった一つの食事のメニューすらも覚えていないことに。しかし、メニューは覚えていなくても、そのひとつひとつの食事によって私は栄養を与えられ、養われてきました。それらの食事なしでは、もうずっと前に私は餓死していたことでしょう」。
 神は私たちの必要をご存知で、私たちが覚えている、いないにかかわらず、常に与え続けておられるのです。 「わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたが たのいっさいの必要を、キリスト・イエスにあって満 たしてくださるであろう。」(ピリピ4・19)
   (A・T)
 

  真価を発揮させるために  (1月16日)

私たちは、裏方の知恵より地位や学歴の高い人の知識を評価し、学術的な知識の方が偉いと思いがちです。しかし、どんなに知識が豊富でも、それが生活の中に生かされてこそ、その真価を発揮するのです。
 京都の老舗旅館・俵屋旅館は、高額でありながら予約がなかなか取れないことで知られています。
 この旅館は歴史があるだけに、風呂場などは湯垢がこびりつきやすくなっています。しかし、風呂場にある木板(簀(す)の子)は、いつも見事につややかです。それは、風呂を掃除する職人さんが、洗剤に苛性ソーダと硫酸を配合したものを使い、アカやサビ、カビが付かないようにしているからです。薬品は職人さんが配合しますが、それを口の中に入れて計り、一瞬にして吐き出します。「口が一番的確な量を知っている」と、経験からつかんだ知恵を生かしておられるのです。
 神様との関係も、頭(知識)や感情と共に、体で覚えていくことが、さらなる力となります。すなわち、感情的に葛藤を覚えることもあるかもしれませんが、ディボーション(祈りとみ言葉)の継続と共に、生活の現場で、祈りつつみ言葉を活用し、み言葉に従って生きることです。
 日々、心していきたいものです。

  信仰の「はい」  (1月23日)

 私が通う歯科医院の院長先生は、よく叱ることで有名です。今日の治療中、「あなた僕の道具動かしたでしょ。ダメだよ!」と若い女性スタッフにきつい口調で注意しました。すると、「動かしていません」とムッとした返事。私も驚きましたが、思わず出た自分の言葉に彼女もハッとした様子で、そのまま黙ってしまいました。
 しかし、さすが院長先生。私の治療すべき歯を見ながら、意外にもそのスタッフに「あのね、歯に詰めるもの、練っておいてね」とやさしく言葉をかけました。彼女も反省したのでしょう。気を取り直して、さわやかに「はい!」と答えました。
 ところがその後、院長が退室し、交代した別の歯科医が、「あー、まだそれ練らないで。少し早いから…」と、院長とは全く逆の指示を出されるではありませんか。彼女が何と答えるだろうと私はハラハラドキドキ…。しかし、わずかな間の後、彼女は「はい!」と答えたのです。感動の一瞬でした。
 神様が止めなさいと言われた時に、やりたいことを止める「はい」。神様が待ちなさいと言われた時に、時をじっと待つ「はい」。神様がやりなさいと言われた時に、震えながらも従う「はい」。今週も、私たちの思いを越えた神様の御心に「はい」とお従いする一週間を送ってまいりましょう。              (F)

  流されず対処する知恵  (1月30日)

  織田信長が、豊臣秀吉に中国征伐を命じた時、荒木村重が信長に反乱し、兵を挙げました。
 黒田官兵衛が荒木氏の説得に赴いた折、荒木方は官兵衛を牢屋に閉じこめました。官兵衛は信長の重臣だったからです。荒木方は、黒田が味方になった、とデマを流しました。それを信じた信長は怒り、官兵衛が人質として差し出していた、たった一人の息子、松寿丸を竹中半兵衛に「殺せ」と命じました。半兵衛は「真偽が定かでない」といさめましたが、気性の激しい信長は聞こうとしません。そこで、半兵衛は「わかりました」と引き下がり、松寿丸を殺さずにそのままかくまっておきました。
 一年後、荒木の反乱が平定されました。官兵衛が救出され、彼の無実がわかった時、信長は「恥ずかしいことをした。会わせる顔がない」と嘆きました。その時、半兵衛は事の次第を語り、信長は大変喜びました。
 何事も、状況に流されず、真理をしっかり見つめながら対応できる知恵を培いたいものです。そして、自分自身の歴史の中で確かな目を養い、実践しましょう。そのためには、日々、揺るがない土台作り、すなわち、神の言葉に養われていくことが秘訣です。
 

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