2011年2月の霊想

   同じ言葉でも  (2月6日)

 「私共の会社の朝礼をお願いしたい」という依頼を受けたことがあります。キリスト教の背景がないお店からだったので、「なぜ牧師の私に?」と、少々意外な思いがしました。社長さんに尋ねると、「同じ『お客様には真心を込めて接しましょう』という言葉でも、私が言うのと牧師さんが言うのとでは社員の受け取り方が全然違います」とおっしゃるのです。
 朝礼後、社員の方に感想を聞いてみました。すると、「社長から言われると、『また私たちを働かせて儲けることを考えてるな』と思ってしまいます。でも牧師さんからだと、『そうだ、その通りだ』と素直に受け取れるんです。」という答えが返ってきました。同じ言葉でも誰から言われるかで天と地の開きがあるものです。
 聖書の読み方にも同じ事が言えます。ガラテヤ書5章以下、ローマ書12章以下では、読む側に律法のような一定基準を要求する個所があります。「御霊によって歩きなさい」、「霊に燃え、主に仕えよ」。ルカ福音書の中でイエス様は、「自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」と命じておられます。
 これらの個所を読む時は、私を愛し、私のために命を捧げて下さった方からの言葉として読んでいくことです。その時、み言葉は新たな光を放つことでしょう。(M)

  人生という走路  (2月13日)

お正月恒例の東京箱根間往復大学駅伝。出場二十校中、来年無条件で出場できるのは上位十校。そのシード権を得られるかどうかも見所です。
今年は稀に見る激戦で、最終十区ゴール一キロ手前では、八位から十一位までの四校が並走。そこを抜け出したK大学のランナーが、ゴール目前でコースを間違えるというアクシデントがありましたが、最終的には十位に入りました。ところが、わずか三秒差の十一位でゴールしたJ大学はシード権を逃し、来年の箱根駅伝出場のために厳しい予選会を経なければならなくなったのです。
十一位でゴールした選手はチームメイトに何度も「ごめんなさい」を繰り返し、涙を流していました。しかし、八位で最終ランナーに襷(たすき)を渡した九区のI選手は責めるどころか、「お前のせいじゃないよ。俺がもっと頑張って、お前を楽にさせてやれなかったのが悪かったんだ」とかばったのです。
 弱い私たちのために十字架にかかり、罪の贖いを成し遂げてくださったイエス・キリストが私たちの人生の伴走者です。キリストは愛に満ちた言葉で、いつも私たちを励ましておられます。与えられたこの人生を私たちも精一杯走り抜き、また愛の言葉を語る者として用いていただきましょう。   (A・K)  

  感謝するために  (2月20日)

北極に近い過酷な自然条件下に住むイヌイットの人々は、自分たちの住んでいる所が世界一すばらしいと考えているそうです。
 しかし、凡人の私たちには、与えられたどんな状況も感謝して受け入れることは、なかなかできないものです。そのような中、どのような状況をも感謝できる一つの方法として、試練に耐えてみることは知恵のあることです。
 松下電器(現・パナソニック)の創業者、松下幸之助氏は、若い頃、電気の配線工として働いていました。
 ある真夏の日、クーラーも扇風機もない時代、部屋にいる人にも地獄と思えるような暑さの中、松下氏はさらに暑い天井裏で仕事をしていました。そして仕事を終え、天井裏から降り、人々がいる部屋に戻った時、大きな声で「ここは天国だ」と叫んだ話は有名です。
 人生の試練は、平凡を非凡に変えます。すなわち、試練は、与えられた試練のただ中で宝を見いだし、感謝するため、天がくださった贈り物なのです。
 今週も、心したいものです。
「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、 むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、そ れによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせる ようになる。」(ヘブル12・11)

  スランプの時  (2月27日)

何をしてもなかなかうまくいかない、とおっしゃる方がおられたら、あなたはどのようなアドバイスをなさいますか。
 若い画家が「最近、景気が悪くて絵が売れない」と、年老いた画家の前で愚痴をこぼしました。「一枚の絵は3日で仕上がるのに、その絵を売るのに3年もかかる」。これを聞いていた老画家は彼に言いました。「考えを変えてみてはどうだい。君が3年間真剣に絵を描けば、その絵は3日の内に売れるだろう」。
 私たちは、つい、人の目が行く場所や物だけに心奪われ、簡単に実を結べる、と錯覚してしまいがちです。そのため、だれも見ていない所での長い準備や専心して時間を費やすことを嫌うところがあるかもしれません。
 しかし、もしスランプがやってきたり、何度チャレンジしても願うどおりにならない時は、外に変化を求めるのではなく、むしろ自分の考えを変えてみることです。それは自分自身が変化できる時であり、人生の不景気は、神様が私たちに下さった成長のチャンスの時なのかもしれません。
「主は言われる、わたしがあなたにいだいている計画は わたしが知っている。」(エレミヤ29・11)

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