2011年6月の霊想

  信頼を込めた祈り   (6月5日)

  わたしが悩みのなかから主を呼ぶと、主は答えて、  わたしを広い所に置かれた。(詩篇118・5)
 東日本大震災では、トモダチ作戦(Operation Tomodachi)と名付けられた災害救助活動をアメリカ軍が展開しました。特筆すべきは、空母から積み込んだ支援物資をヘリコプターが孤立した被災地に届ける方法です。何と、国や自治体等の行政とは無関係に、パイロット自身が上空から目視で被災者を探し、水・食料・燃料等の物資を届けたのです。
 ヘリを呼ぶために必要なことは、外に出て手を振り合図をすること、また「SOS」の文字を地面に大きく描いておくこと等のアピールです。どんなにあなたを助ける用意が出来ていても、あなた自身が助けを呼び求めなければ、用意されていたものが無駄になってしまいます。
 神様も、あなたが呼び求めること、祈ることを待っておられます。「呼ばなければ答えない」という意地悪な方だ、ということではありません。「きっとこの方は私を救い出して下さる」という信頼を込めた祈りを神様は待っておられるのです。その時、悩みという狭い場所から、平安という広い場所へ私たちが移されているのを知ることでしょう。
 今週も、あなたの叫びに答えられる神様に信頼し、祈りを捧げてまいりましょう。

  あなたにできること  (6月12日)

  ある老齢の手品師が神様のことを聞き、自分のこれまでの人生の意味を発見し、教会に通うようになりました。
 彼が教会のあちこちを見て回ると、ある人は熱心に奉仕をし、ある人は美しい声で歌い、またある人はとりなしの祈りをしていました。神様のために汗を流して奉仕したり、献金したり、熱心に伝道するなど、彼らなりに一生懸命していました。
 この手品師は、他の人たちのように若くもなく、お金もなく、また知識や学歴もなかったので、「何もできない」と思いました。悩んだ末、ある日、礼拝堂の中に一人で入って行きました。そして色とりどりの花を散らしたり、紐を用いたり、鳩を飛ばしたり、汗を流しながらあらゆる手品を披露した後、彼は大声で叫びました。
 「神様、私の手品はおもしろかったですか!」
彼は神様のために考えられること、そしてできることすべてをしたのです。
 私たちは、人と比べて落ち込んだり、また優越感に浸ったりと、まわりがとても気になることがあります。しかし神様は、私たちのできるところで喜んで捧げることを喜ばれます。今日あなたができることは何ですか。
「ただ、わたしたちは達し得たところに従って進むべき である。」(ピリピ3・16)

  信頼を込めた祈り  (6月19日)

   幸田(こうだ)露伴(ろはん)は、日本語の「いのち」の語源を次のように語っています。「息のあるうち」が「息のうち」になり、「いのうち」に変わり「いのち」となった、と。
 その「いのち」は自分のものと考えていた日本人が、今や大転換を迫られています。一瞬にして何万人ものいのちを飲み込んだ大津波を目の当たりにして、「いのち」は自分のものではない、と感じさせられているのです。
 私たち神を信じる者にとっては、いのちは主のもの、主ご自身です。「わたしはよみがえりであり、命である。」(ヨハネ11・25)と言われたイエス・キリストこそ、私たちのいのちです。
 あなたがどのような状況にあっても、試練の時も、昨日も今日もいつまでも変わることのない主が、あなたの内に住んでおられるのです。このことをいつも明確に覚え、単に知識ではなく、生活の中で内住のイエス・キリストを体感できることは何と素晴らしいことでしょう。
 今週もその恵みを豊かに味わうことができますように。
「生きているのは、もはや、わたしではない。キリスト が、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、 わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛 し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を 信じる信仰によって、生きているのである。」                 (ガラテヤ2・20)

  信頼を込めた祈り  (6月26日)

 日本初の「かたづけ士」、スッキリ・ラボの小松易(やすし)さんは、これまで千人以上の個人、数十社の企業にかたづけの指導を行ってこられました。
 小松氏は、「かたづけに取り組むことでその人自身に変化が起こり始める」と言います。
 「整理(減らす)整頓(使いやすいように配置する)」と「かたづけ」はほぼイコールだそうですが、『「かたをつける」かたづけをしないと何も変わらない。すなわち、「かたづける」とは「とどめを刺す」ことだ』と小松さんはおっしゃいます。この指導を受けた人は、様々なことにかたをつけ、新しい人生をスタートなさるのだそうです。
 人となった神イエス・キリストは、私たちの罪に「かたをつける」ためにこの世に来てくださいました。十字架上で流してくださった血潮で、私たちの人生にからみつく「罪」にとどめを刺し、解放してくださったのです。
 今週も、「罪にかたをつけてくださった」キリストに信頼し、与えられた人生をすっきりと歩んでまいりましょう。
「この御旨に基きただ一度イエス・キリストのからだが ささげられたことによって、わたしたちはきよめられ たのである。」(ヘブル10・10) 
 

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