2011年8月の霊想

  勝利の人生   (8月7日)

   プロ野球で最下位に低迷する弱小チームが、新しい監督に交代した途端、優勝争いに加わるようになることがあります。監督交代を境に、急に選手たちの能力が増したからではありません。勝負はいつも紙一重。選手たちが挫けそうになり、さっさと負けて楽になりたいと思うその時に、「今ここが正念場。ここを乗り切れば必ず勝てる」と、常勝監督は勘所を違えません。

「死は勝利にのまれてしまった。」(Ⅰコリント15・55)

 この世の全ては〈死〉で終わりです。どんなに財産を持ち、学問を積み上げても、死によってそれら全てに終止符が打たれます。しかし、イエス・キリストは十字架で全人類の罪のために死なれ、それは自分の罪の身代わりであった、と信じる者に永遠の命を与えて下さいました。すなわち、キリストを信じる者は、肉体の死で制限されることから解放され、死は永遠の命の中の一つの通過点にしか過ぎなくなったのです。「死は勝利にのまれた」とは、キリストが十字架で死を滅ぼし勝利したことを意味します。この勝ちを得た方に従って生きる時、共にその勝利にあずかることができます。
 今週も勝利者キリストの言葉にしっかりと聞き従い、勝ちを得てまいりましょう。

  親友がいますか  (8月14日)

 「親友」の意味が少し変わり始めている、と言われています。
 国語辞典で「親友」を調べると、「心からうちとけた親しい友人」と書かれています。しかし最近は、だれもが「親しい友だち」なので、「親友」の本来の意味から離れてしまい、物足りない関係となっています。現代の「仲良し」の概念が、以前とは大きく違ってきているのです。
 だからと言って「親友」がいないのではありません。今、若者たちの間では、「しんゆう」が「親友」だけではなくなってきています。「心友」「深友」と書くこともできるのです。
 言葉は、時代の潮流の中で、人々の心や思いにぴったりする表現へと変化し、これからますます「親友」のような現象は起こることでしょう。
 教会に集うあなたに、神の恵みを分かち合える「しんゆう―神友」は何人おられますか。たとえ神友がおられなくても、神こそがあなたの最高の友です。

「『アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた』という聖書の言葉が成就し、そして、彼は『神の友』と唱えられたのである。」(ヤコブ2・23)

  本当に必要なもの  (8月21日)

ユニクロを世界的規模の企業に導いた柳井正氏は、次のように語られました。「唐突な話に聞こえるかもしれないが、僕は、今の日本の閉塞感、言ってみれば体たらくの一番の原因は、国民が総じて将来に対し希望が持てなくなっていることから発していると考えている。それは社会全体が老齢化、成熟化してきたということ。非常に残念なことだけれども、精神的なものよりも物質的なものを重視し偏重するという近年の傾向がそうさせているのではないだろうか。これは日本人の品格の衰退だ」。
 この意見に対し、あなたはどのようにお考えになりますか。氏には『一勝九敗』という書名の本があることからわかるように、偉大な成功の陰で多大な試練を乗り越えてこられ、時代を俯瞰(ふかん)できる実体をお持ちの方の言葉だけに心に響きます。
 精神的なものも、物質的なものも、両方、生きていく上に必要です。しかし、どちらを、という相対的な考えではなく、いのちの根源、創造主を土台とすることがクリスチャン生活の基本です。
 星野富弘さんが『いのちが一番大切だと思っていたころ生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった』と言われたように、私たちを生かしてくださる主と出会い、この方と共に、今週もしっかり歩んでまいりましょう。 

  夜の冷たさ、闇の深さ  (8月28日)

 作家の五木寛之氏が、その著書『生きるヒント』で紹介し、有名になったお話です。

 朝顔はなぜ朝の決まった時間に花を咲かせるのでしょう。私たちはそれを朝の光に反応して花が開くと考えます。そこで、ある研究家が朝顔の花を開かせるために、光を照らし続けたり暖かい温度にする等の好条件を用意して実験をしました。しかし、これだけでは不十分だということがわかったのです。
 研究の結果は驚くべきものでした。「朝顔の蕾は朝の光によって開くのではない。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である。」

 私たちが味わう「夜の冷たさ」「闇の深さ」には意味があります。その時間さえも、神は絶え間なくいつくしみを注いでおられるのです。むしろ、その夜と闇があって初めて、朝顔がみずみずしい花を咲かせるように、あなたならではの花が開いていくのです。
 今週も、この新しい朝に感謝して出発しましょう。

「主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは 尽きることがない。これは朝ごとに新しく、あなたの 真実は大きい。」(哀歌3・22~23)

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