2012年7月の霊想

  ぞうきんになりたい  (7月1日)

   河野進師はハンセン病者と礼拝を続ける中、キリスト者として何を目指すか自問自答し、詩を記されました。 主は問われる
 「何を望むか」「謙遜を」
「つぎに何を」「親切を」
    「さらに何を」「無名を」
  「よかろう」
 今年はオリンピック年。ロンドンには世界各地から金メダルを目指して選手たちが集まってきます。地上の金メダルは一番の人に与えられますが、天上の金メダルは、人知れず他者のために生きる人生に与えられます。
 河野師は次の詩も残されました。
   困ったときに 思い出され
   用がすめば
   すぐ 忘れられる
   ぞうきんになりたい
   台所の隅に小さくなり
   報いを知らず
   朝も夜も喜んで仕える
   ぞうきんになりたい
 雑巾としての人生は、まさしく「贈金(ぞうきん)」の人生。キリスト者の金メダルです。今週も、手本を示されたイエス様を見上げつつ、歩んでまいりましょう。

  わたしの宝  (7月8日)

   あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。(出エジプト記19・5)

 昨年の『山形の夏野菜川柳コンテスト』の入賞作品に「山形の 食べる宝石 夏野菜」という句があります。山形県は宝石のような夏野菜はもちろん、おいしいお米、日本海の新鮮な魚介類、そして豊富な果物に恵まれたグルメ県です。
 ところが「現代人は腐る寸前のものを食べている」のだそうです。冷蔵庫の発達がその原因です。そう言われれば、食べ物はまず冷蔵庫に入れ、賞味期限寸前であわてて食べる、という生活を繰り返してはいないでしょうか? 宝の持ち腐れ、という言葉が心に痛く刺さります。
 神様は私たちを宝として下さいます。しかし、私たちを滅多に人前に出さずに奥深く隠しておく……、というお取り扱いはなさいません。ある特定の場で大いに用いるのが、神様の宝の使い方です。つまり、神様が私たちをお用いになる場面が必ずやって来ます。その時をとらえて、伸び伸びと動けばよいのです。
 時をとらえるためには、「今だよ」という神様の声をキャッチしなければなりません。そのために、神様の声を聞き、それに従う日常を送ってまいりましょう。

  どんな時も大丈夫  (7月15日)

 岩手県陸前高田市の一本松が大変有名になりました。大津波の中、7万本もあった松の木の中で1本だけが残ったのですから…。「奇跡」「根性松」と呼ばれ、復興の希望となりました。
 久しく「頑張ろう!」と、『がんばろう日本』が合言葉になりましたが、今、多くの人が違和感を感じています。一本松を見た人たちは、「『ここにいるよ、大丈夫だよ』と言っているように感じる」とおっしゃいます。今必要なのは「頑張ろう」ではなく「大丈夫」です。
 東北大学病院の高橋明医師は、ボランティアをしながら実感を込めて語っておられます。「人々は今、元に戻そうとするマイナスからプラスの生き方ではなく、すべてを受け止めていくプラスからプラスの生き方を求めています」。
 「どんな時も大丈夫」こそ、人が最終的に求める平安の極意であることを、人々が感じ始めたのです。長嶺兄が歌う、『どんな時も大丈夫』は、日本各地で、また各会で用いられています。興譲教会ではこの災害が起きる20年も前から大丈夫を語り続けてきました。そしてその真価が、今、発揮されています。神様は、あなたを通して「大丈夫」を醸し出して下さいます。
 今週もその主に信頼して歩んでまいりましょう。

  信じて求める  (7月22日)

  
 「主のみこころならば、それは成ります」と聞くと、祈ることに無気力になる人がいます。「求めても、みこころしか成らないのなら願ってもムダ。成るようにしか成らない」と考えるのです。
 しかし、「あなたがたは、求めないから得られないのだ」(ヤコブ4・2)とあるように、神は、人間に求めることを願っておられます。真剣に求める者を神は辱めることはありません。求めた人には、必ず、与えられます。そして、あなたの願い通りではなく、願い以上の最善の姿でかなえて下さるのです。
 そのことを踏まえ、次の3つを心に留めましょう。
①神のご計画があります。朝求めて、夕にかなえられる ことばかりではありません。神の時を待つ必要があります。
②あなたの害になるような祈りは決してきかれません。
③神の意外なみこころが成されます。
 与えられない期間が長ければ長いほど、その人は聖(きよ)められます。また忍耐が加えられます。あなたが今あるその所で、本当に必要としているものが与えられるのです。
 主のみこころと思うものには、思い切ってチャレンジしましょう。神は期待以上の方法であなたを導いて下さいます。

  悩み解決法  (7月29日)

  
  人はなぜ悩むのでしょうか。「こうありたい」という願望に対し、「これしかない」という現実に直面するからです。このギャップの埋め方を知らないと、できない自分を責めてしまうか、他人や状況のせいにするか、の内外二方向に分かれます。現代の社会現象を見ると、内に向きすぎる人はうつ状態となり、外に出すぎる人は、学校や病院でモンスターとまで呼ばれるほどのクレームを発信し、願望と現実のギャップを解決しようとします。
 この悩みを解決するには、まず自分の理想と現実をよく見据え、その遥かな距離を認めることが始まりです。そして、理想と現実との間に自分ならではの橋を設計し、作り始めることです。この作業はたった一人でする必要はありません。設計図を与え、資材など必要なすべてのものを調達してくださる方がおられるからです。その方は、あなたにいのちを与えられた神様です。しかも、すべて電話一本(祈り)によって調達できる世界です。
 自分のできる範囲で、「達し得たところに従い」(ピリピ3・16)、「信仰の量りに従って」(ローマ12・3)コツコツと歩んでいく時、その瞬間瞬間を、完成された人生の一部として受け入れることができます。それゆえ、どの時点で終わったとしても、喜びと感謝をもって日々を過ごすことができるのです。

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