2012年10月の霊想

  心の名医  (10月7日)

 帯津三敬病院の名誉院長、帯津良一先生は、後輩が取材に来られた時の様子を、ご自身の著書に次のように書いておられます。
 東大医学部の学生新聞で『鉄門だより』というのがあります。その記者を務めていた学生が二人、私のところに取材に来て、最後に「若い後輩にひと言お願いします」と言うので、「生きる哀しみのわかる人間になってほしい」と言ったんです。そうしたら二人ともびっくりして「生きるって哀しいんですか?」って聞いてくるんですよ。ぜんぜんわかってくれないんですね。……
 あなたは、試練・困難を通して、生きる悲しみを十分に体験され、人々にその宝をお分かちしたいと願っておられることでしょう。そのような人は、医師でなくても、人々の心をいやすことができます。
 神様が試練・困難を私たちに与えられるのは、第一に、あなたにそれを託して大丈夫、という神様の厚い信頼があるからです。第二に、神様はその人に合った分だけの試練しかお与えになりませんから、安心なさることです。最後に、人間にとって最も大切なぬくもり、愛は、試練が宝に変えられることによってのみ生まれるからです。
 今までの試練、困難、そしてこれからやってくることはすべて、心の名医になるための神からの贈り物です。

  神様の口座  (10月14日)

「わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの
 右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。」
                            (詩篇16・8)
                                
 聖書は、自分より前に神を置きなさい、と勧めています。私がどうこうするよりも先に、神はこのことをどうされるのだろうか、と神の存在を認めて人生を考え直してみよ、ということです。
 それは銀行の口座に例えられます。自分の通帳を見ると、どう見ても赤字。通帳とにらめっこしても何も出てきません。ところが別の預金通帳がありました。額は十分!しかも「自分の口座から出す前に、まずこちらをお使い下さい」とのメモ入り。しかし、口座名義人は神様です。「いくら使ってもいい」と言われていても、必ず連絡し、了承が必要です。時には「だめ」と言われる時もあるでしょう。他人様の口座ですからそれも当然です。その時は自分の通帳から出すことが適当なのだということです。
 これが祈りであり、主をわたしの前に置くことです。
 自分の口座だけで人生をまかなおうとせず、神の口座があることを知りましょう。そして人生の計算をやり直すのです。それが動かされることのない人生の始まりとなります。

  釜石の奇跡  (10月21日)

 東日本大震災の大津波の中、釜石市では奇跡的に多くの人が助かりました。普段から防災教育に力を入れ、子どもたちに次の避難三原則を徹底していたからと言われます。
①想定を信じるな…12メートルの高台にいるし、過去の データから10メートル以上の津波は来ないと避難しな かった人がいました。そこに20メートルの津波が来た のです。人生には想定外の事が起きます。釜石市の子 どもたちは、さらに高台へ、と避難したのです。
②今の状況下で最善を尽くせ…高台へ子どもたちが避難 する時、途中にある老人ホームの人たちの手を引いて 登る子どもたちがいました。この状況下で、まわりも 配慮し、最善を尽くすことができたのは、日頃の訓練 の賜物でした。
③率先垂範…平和な時は、つい「誰かがやってくれるだろう」と思いがちです。しかし、常日頃から「私がや ろう。今やろう」と教育を受け、身にしみていたこと が良き結果を生んだのです。
 私たちも、教会生活で恵みあふれる主の奇跡を体験するために、前記の3つを参考に、今週も、祈りつつ過ごしましょう。

  負うべき荷   (10月28日)

  
「日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神は われらの救である。」(詩篇68・19)  「犬が好むものは骨です。では、骨が好むものは何でしょう?」というまじめな医学クイズがあります。骨が好むもの? カルシウム? ビタミンC? 正解は「重力」です。
 立ち上がる時や階段を上る時の、あのグッと来る負荷があると骨は強くなるのだそうです。ですから、骨の成長を促進するという意味で、人間はむしろ荷を担わなければなりません。これは心の面でも同じことが言えるのではないでしょうか。人の心が強くなるためには重荷が必要だということです。
 ところがこの聖句では、神は私たちの荷を毎日負っていてくださるというのです。私たちの成長とは逆のことをしているように見えます。それは次の「神はわれらの救である」によって解決されます。神は救いとなるように荷を負ってくださるのです。荷を負い過ぎてつぶれてしまわぬように、しかし負うべき荷を担ってさらに強くなるように、神は、毎日、荷を共に担われるのです。
 あなたの負うべき荷とは何でしょうか?
 負いすぎることなく、また放り出すことなく、重荷を神にゆだねていきましょう。

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