2013年5月の霊想

  神様、あのね…  (5月5日)

 認知症の人にその過ちを指摘してはいけない、と知ってはいても、ついつい家族は「違うでしょ!《「何回言ったらわかるの!《と、励ますつもりでも、十人が十人、眉間にしわを寄せて言っているそうです。
 やがて認知症の方は自分の家にいるのに「家に帰る《と言い出します。家族は「症状が悪化した《とがっかりして病院に連れて行きます。すると認知症専門医はこう言います。「家とはホッとできる場所です。やさしい顔をした息子や娘のもとでホッとしたい、ということなのでしょう《。そして『①他愛ない会話をする。②「ああしろ、こうしろ《と言わない』という2つの処方箋を家族に渡して診察を終えます。次回の診察時には、本人も家族もニコニコ顔で来るそうです。
 自分の努力のみに終始し、神の霊の働きに頼らないでいると、このご家族のように事態を良くしているつもりで悪化させてしまうものです。
 聖霊にお任せすると、私たちのうちで力となって働いてくださいます。霊なる神とのコミュニケーションは祈りです。重要課題だけでなく、他愛ない日常会話で祈って良いのです。まず「神様、あのね…《というフレーズから始めてみたらいかがでしょうか。そこから霊的交流が始まり、やがてあなたのうちに命がみなぎり始めます。

  今の時を生かして用いる法  (5月12日)

   今の時を生かして用いなさい。(エペソ5・16)
 昔も今も変わらず、同じように語られる言葉はただひとつ、「時が経つのは何と早いことでしょう《です。限られた人生を豊かに生きるコツは、今の時を生かして用いることです。そこで、今の時を生かすための二つの鍵。
1.どんな状況の中にも、必ず宝が隠されていることを 知ることです。谷が深ければ深いほど、その峰が高い ように、試練、困難が大きければ大きいほど、そこで 測りがたい天来の祝福をしっかりと見いだし、味わい、 人々にお分けしていきたいものです。
2.「今日が最後の日《という思いを持つことも知恵の あることです。ニューヨーク・ヤンキースの黒田博樹 投手は、マウンドに向かう前に「今日が最後の試合だ」
 と心で反芻(はんすう)するそうです。これは元NB Aのスーパースター、マイケル・ジョーダンの言葉で す。黒田選手は「今日が最後の試合なら、打たれるこ とも、ケガすることも恐くない。だから思い切って投 げられる《と語ります。
 あなたは、今日一日をどのような思いで過ごしておられますか。誰にも平等に与えられている時間を、生きた時間として豊かに用いていきましょう。

  麗しい冠  (5月19日)

 また、あなたは主の手にある麗しい冠となり、あなた の神の手にある王の冠となる。  (イザヤ62・3)
 「あなたは幸せになっていいんですよ《とお話しすると「いえ、私は幸せになる資格はありません《と言う方がおられます。よくよく聞いてみると、「時々、自分でも止められない衝動に突き動かされ、あちこちで人の善意を壊してきた……《という過去があったようです。ですから、自らが自らを罰してその罪の埋め合わせをしようとし、幸せになることを拒んでいるのです。
 人間が暴走するのは自分を愛せなくなった時です。自分が素晴らしいと思えなくなった時、人間は捨て鉢な行動を取ったり、思いもよらないことをしてしまいます。
 神はその私たちのために御子イエスをこの世に遣わし、私たちの罪の身代わりとして十字架にかけられました。このイエスの十字架を自分の罪の身代わりだったと信じる時、罪は赦され、永遠の命が与えられます。そして、その時点で暴走は終わります。この私をどこまでも追いかけて愛してくださる神の愛に満たされるゆえに、暴走する理由がなくなるからです。
 それから先は、自分は主の手にある麗しい冠であることを、時間をかけながら受け入れ、幸せを噛みしめていく日々が始まります。

  仕 事  (5月26日)

  
 いくらあっても足りないのが時間です。特に、多くの仕事に忙殺され、時間に追われることの多い現代です。
 一口に「仕事《と言っても、「こなす仕事《「さばく仕事《「やらなくてもよい仕事《……と数多くの種類があります。
 「こなす仕事《とは、他人任せではなく、自分で優先順位を立ててしなくてはいけない仕事のことです。これを、つい、後回しにしたり人任せにしてしまうと、人生の大半を無意味なものにします。机に向かい、仕事を紙に書き出し、仕分けをしっかりし、一日を、一週を始めることは大きな収穫をもたらします。
 「さばく仕事《とは、自分でなくても、他に代行してもらうことができる仕事です。そのような仕事は他者に任せ、あなたがしなければならないことに専心することが肝要です。
 「やらなくてもよい仕事《というよりも、人は「したい仕事《をしてしまうものです。まず仕事の前に祈り、「本当にしなければならないこと《と「したいこと《をしっかりと見極め、自らを制していくことです。
 日々の仕事を意識し、神様から与えられた「時《という賜物を大切に、能率よく用いるためにも、この仕分けの習慣を身につけていきたいものです。

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