2013年8月の霊想

  人生の価値  (8月4日)

 「人生の価値は何で決まるか《と聞かれたら、あなたは何と答えますか。
 「何を手に入れたかで決まる《と、日夜、努力なさる方もおられます。それが人生の力であると考え、知力、経済力、体力……と、『何かを得ること』に情熱を注ぐことも、確かに生きるエネルギーになります。しかし、この生き方は、得れば得るほど上安をかき立てます。「もっと、もっと《と急き立てられると同時に、得れば、得たものを失うことの寂しさが生じるからです。
 またある人は、「どれだけ楽しんだかで決まる《と言います。江戸時代の庶民は、物より時間に価値を置いたと言われます。ですから、芝居や相撲、旅などを楽しみ、「人生、物見遊山《と生きたそうです。与えられた人生を無駄に過ごす、ということではなく、健康な楽しみを味わうことなく終わるのはもったいないことです。あなたはいかがですか……。
 しかし、あなたが最も心していらっしゃるのは「いかに与えたか《という生き方ではないでしょうか。あなたがこの地上を去った後、『どのくらい集めたか』ではなく『いかに与えたか』で評価されるとしたら、どちらになさいますか。大いに潤い、また、大いに人々に差し上げる生き方を心したいものです。

  命 の 息  (8月11日)

 生きている証拠は息をしていることです。「息《は「自らの心《と書きます。科学的実験の結果、人間の息を冷却装置の中に吹き込み、零下二一二℃に冷やすと、息が液化し、その中にカスができます。そのカスには色があり、その時の精神状態によって色が変わるのです。
 悲しみに暮れている時は灰白色。恐怖の時は青色。恥ずかしい時は桃色。人を憎み、興奮の極みにある場合は茶色で、その感情がさらに強い時には栗色を帯びると言います。この栗色を帯びたカスをモルモットに注射すると、極度に興奮し、場合によっては即死するのです。ちなみに、精神状態が平静の時は無色に近くなるのです。
 さて、あなたの息で検査を受ける機会があったとしたら、何色が現れそうですか。
天を見上げることを忘れ、地上の交わり、価値観で生きると、そこで吸い込む息が私たちの心を通過し、様々な色に変色します。
 朝に昼に夕べに心したいのは、「主なる神は……命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった《(創世記2・7)という人間の原点に帰り、神の息(聖霊様)にいつも満たされて歩み、心整え、良き習慣を培っていくことです。さあ、今、主の霊を得る深呼吸を大きく、しっかりとしましょう。

  ゆだねるには  (8月18日)

  人にはそれはできないが、   神にはなんでもできない事はない。(マタイ19・26)

 この聖句は、イエス様が「富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。《と言ったところに続いて語られています。お金がある人は救われない、と言っているのではありません。頼りになると思われる強力な「富《があると、それをわざわざ手放してまで神にゆだねることは非常に難しいのだ、と言っているのです。
 自分の手にあるものを手放すには、内なる自分との戦いを経なければなりません。例えば収紊に関する本を読み、家の中を片付け始めると、途端に出てくるのは「後で使うかも知れない《という思いです。ですから、捨てる物と取っておく物を分別する際には、第三者に判断してもらうと、痛みを覚えながらも整理は進みます。  自分の過去の生活習慣や断ちきれない思いがあったとしても、それは当然なのです。しかし、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない《と力強く語ってくださるイエス・キリストが私たちの救いを完成して下さるのです。
 「ゆだねられない《と告白するところから始めていきましょう。そこから、上可能を可能にする神が働いてくださいます。

  すべてはニュートラル  (8月25日)

  
 Aさんは、大変疲れていたので、新幹線のグリーン席を求めました。新幹線に乗り込むと、前の席には、実家への里帰りという、小さな赤ちゃんを抱いたお母さんが座られました。
 新幹線の発車と同時に、何と、その赤ちゃんが大声で泣き出しました。甲高い泣き声に、まわりで嫌な顔をする人もおられました。何よりも、「せっかく追加料金を払い、グリーン席で休もうと思ったのに……《と、Aさんはイライラしていました。
 とうとう終点に到着。降りる時、ふと見ると、お母さんの側に立たれた老紳士が、「元気な声の赤ちゃんだね。今にたくましく育つぞ。赤ちゃんは元気が一番《とにっこりとほほえまれました。その言葉を聞いて、同じ状況に遭遇しても、反応は様々であることを知りました。そして、結局、人生は自分の受け止め方次第であることを、Aさんは深く心に刻まれました。
 すべての出来事はニュートラルで、受け止める側の姿勢によって、それが否定的にもなり、肯定的にもなります。すべては神様の御手の中にあり、「すべて相働きて益となる《と生きておられるあなたにとって、すべての出来事から如何様(いかよう)にでも恵みを汲み出すことができることは、何とすばらしいことでしょう。

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