2014年7月の霊想

  何を見ていますか  (7月6日)

    あなたは今、何を見ていますか?
    また、普段、何をご覧になりますか?

 あなたの見ているものがあなたの瞳に映り、瞳に映るものは、やがて心に焼きつけられ、その心の映像からあなたの言葉も行動も自然に生まれてきます。
 あなたの部屋に幅50センチ、長さ5メートルの、厚く、頑丈な板を床に置きます。あなたは何の迷いもなくその上を歩くことができます。次に、10階建てのビルの屋上から隣りのビルの屋上に同じ板を渡します。同じ『一枚の板』という状況が設定されても、今度は、無風状態で何の危険がなくても、多くの人は立ちすくむことになります。それは「板の上を渡る《ということを見るのではなく、「落ちるのでは《というところを、すでに肉眼でではなく、心の目で見、描き、瞬時に恐れの行動となって現れるからです。
 この単純なことは、あなたの毎日の生活の中でも織りなします。どんな状況でも、神様との祈りの中で、心の目、霊の目がしっかりと開かれ、鮮明に祝福のみを見、それを先取りし、喜びをもって生きることがクリスチャンの特権です。
 今日も、今週も、否、あなたの未来すべてに、この祝福が用意されていることに心をとめましょう。

  実体ある信仰を培う法 (7月13日)

  いざ、という時に真価を発揮する信仰の力を、普段の生活の中でしっかりと養っておられることは何と素晴らしいことでしょう。
 実体のある、役に立つ信仰はどのようにすれば養うことができるのでしょう。たくさんのことを学んだり、聞いたり、見たり、様々な〈あなた流〉で神様との関係を強固にし、信仰を養うことです。
 大きな気づき、発見を調べてみると、意外と、実生活のさりげない活動の中で見出されています。会社での仕事、日々の家事、子育て等々、具体的な生活の中で祈りつつ神様との交わりをしていると、思わぬ時に大きな発見と共に、信仰の実体が身につくことがあるのです。
 ジェームズ・ワットは、ゴルフをしていてクラブハウスに歩いている途中で蒸気機関の改良法を思いつきました。モーツァルトは、ゲームをしている時に『魔笛』のメロディーを思いつき、数学者の岡潔氏は、バスに乗ろうとステップに足をかけたとたんに、長年考えあぐねていた数学の公式が解けたという話は有吊です。
 信仰は、実生活のただ中で培われ、育まれます。どんなことも感謝し、主が与えてくださったこの時、この状況を思いめぐらしながら日を過ごすことです。
 今週は、このことに心をとめてみましょう。

  強固な地盤(7月20日)

  最近、横浜市で、マンション2棟をつなぐ渡り廊下に「ずれ《が見つかりました。一級建築士に依頼し、地形を調べ設計図と照合し、さらに地下を調べるためにボーリング調査を実施したところ、約60戸が入る1棟の杭の長さが上足し、強固な地盤部分まで到達していない可能性が高い、と判明しました。
傾きはまだ体感はできませんが、部分的に沈下したり傾いたりしています。マンションなどの大きな建築物は、杭を「支持層《と呼ばれる強固な地盤まで打ち込んで固定するように定められています。長さが上足すると重みを支えられず、建物が傾いたり沈下したりする可能性があるほか、地震に対する安全性が低下する恐れがあるからです。 聖書は、確かな土台の上に生きることがいかに大切かを教えています。「それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。」(マタイ7・24~25)  人生には予想外なことが起こります。いざという時にこそ、確かな土台の安定があなたの人生を支えます。
 今週も、心の支持層、強固な地盤である神の言葉を土台として生きていきましょう。

  人生のとらえ方 (7月27日)

 人生で起きる出来事を「自然・偶然・必然《と、様々に取ることができます。どの生き方、考え方も味わい深いものです。
 「なぜこの時に、このようなことが私に起きたのか?」と、苦しみや悲しみに出会い、狼狽することがあります。その時「すべては神の御手にあり、自分の知識や体験では理解ができなくても、天の窓を通して見るとそこに確かな答えがある《と捉えることもできます。この私に特別になされた神様のご計画(必然)と受け取ることは、何とすばらしいことでしょう。「あのことがなければ《「このことさえなかったら」とマイナスにとらえるのではなく、「このことがあったからこそ」と、意味を見出し、人知を越えた神様の御心を知る最大の機会とするのです。  そのように瞬時に変換するためには、み言葉に慣れ親しむことです。古い習慣ではなく、み言葉を通して新しい前向きな生き方・考え方をくり返し練習なさり、習慣とすることに尽きます。  かつてある人が、カーネギーホールでの演奏の後、その演奏者に「あなたのような演奏ができるなら、一生を捧げてもいい《と言いました。すると音楽家は「私はこの道に一生を捧げたのです《と答えました。  くり返しの練習があなたを培います。

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