2014年9月の霊想

  勝ち負けを超えて (9月7日)

  日常生活の中、身近な人と些細なことで、つい、勝ち負けの罠にはまってしまうことがあります。
 勝つことだけに快感を覚えることは、本物の喜びから距離を置きます。勝つも良し、負けるも良し……勝ち負けを超えた、さらなる価値観はぬくもりの世界です。
 1920年、テニスの清水善造選手は、とうとうテニス界の檜舞台、ウィンブルドンでの「チャレンジ・ラウンド《(前年優勝者への挑戦権決定戦)決勝を迎えました。相手は当時の世界の強豪、アメリカのビル・チルデン選手です。激戦の末の最終セット、マッチポイントの時、チルデン選手がボールを打った瞬間にバランスを崩し転びました。そのボールを、まさに、「絶好のチャンス《とスマッシュすれば清水選手が勝ちです。しかし彼は、その瞬間、やわらかな、ゆっくりしたボールを返しました。相手は立ち上がることができ、ゆるやかなボールを思いっきりスマッシュし、勝ちました。その試合を見ていた観客は、スタンディング・オベーションで清水選手に向かって拍手をし、二人が会場を後にした後も、しばらく拍手が続いたと言います。
 チルデン選手のその後は、決して幸せと言える人生ではありませんでした。一方、清水選手は、1977年、「今は僕は世界一幸せだ《と、86歳の生涯を閉じました。

  訓練の実(9月14日)

 2009年1月15日、アメリカ・ニューヨーク市。突然故障したにもかかわらず、USエアーウェイズ機はハドソン川に着水し、乗員乗客155吊の命が守られました。このニュースは「ハドソン川の奇跡《として、世界中に届けられました。
    事故後、自宅に戻ったサレンバーガー機長は、約3千人のサンフランシスコ市民から熱烈な歓迎を受けました。そこで機長は、「乗組員全員が、訓練通りの仕事をしただけです《と挨拶しました。この「ハドソン川の奇跡《は、機長はじめ乗組員の日頃の訓練が実ったものでした。
 一分一秒を争う万一に備え、日々繰り返されるその訓練の成果は、トラブルが実際に起こった時にこそ、はっきりと表れるのです。
 練習は本番のように、本番は練習のように。日々、「本番《と訓練していく時、自分を取り巻く親子関係で、あるいは職場での出来事の中で、あなたならではの「ハドソン川の奇跡《を体験することができます。
「すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、 むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、そ れによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせる ようになる。《(へブル12・11)

  最後まで勉強(9月21日)

 NHKラジオ深夜便で、かつて、次のような話が語られました。
 江戸川区に住むAさんが、朝、バスを待っていました。そこに、80歳位と思われる年配の方が来られ、並びました。バスを待つ間の何気ない会話です。
「朝早くから、どちらへですか《
「いやぁ、いい年をして寿司屋の板前の修行中です《「えっ…。失礼ですが、おいくつですか《
「今、92歳です。修行を始めて10年になります《
 この方は、75歳で仕事を辞め、息子さんと同居し、老後の生活に入りました。しかし、「さらに前向きに生きたい《と寿司屋の板前を志し、周りの猛反対を押し切って、待望の板前修業が実現したのです。修業を始めて10年。「今、92歳の現役として最高に幸せです《とおっしゃいました。
 間もなくバスが来たので、二人は並んで席に座りました。Aさんは、「同じバス(人生)に乗りながらも、行き先がなんと違うことか《と、痛く感銘なさったそうです。降りる時にお礼を言うと、その人は、「人間、死ぬまで勉強ですね《とポツリと言われました。
 なんと重みのある言葉でしょう。

  つらさを通して働かれる神(9月28日)

 『赤毛のアン』はカナダの作家L・M・モンゴメリの長編小説です。「男の子と間違えて女の子を引き取った夫婦《という新聞記事から着想を得て書かれました。
 小説は、孤児院で育った主人公アン・シャーリーが、11歳でカスバート家に引き取られ、クィーン学院を卒業するまでの5年間の少女時代を描いたものです。
 この作品には、作者・モンゴメリ自身の少女時代が投影されています。彼女が1歳9ヶ月の時に母が亡くなり、母方の祖父母に引き取られ、厳しく育てられました。そのため、彼女はアン同様、孤独で、家族から理解してもらえない子どもとして育ちました。保守的な祖父、口うるさく支配的な祖母、欠点をあげつらう親族の人たち。
 祖父が召された後、気難しい祖母とのつらい生活の中、相談相手になってくれたのが、長老派教会牧師のユーアン・マクドナルドでした。この時期に『赤毛のアン』が出版され、世界的ベストセラーとなりました。3年後、モンゴメリはユーアン牧師と結婚しました。
 生い立ちや人生がどんなに厳しくても、神はそれらを通して、何か偉大なことをなさろうとしているのです。
 神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、 自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。(Ⅰペテロ5・7)

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