2014年10月の霊想

  谷深ければ (10月5日)

  かつて、ワックス業界で吊を馳せた『ケントク』という会社がありました。創業者であり社長の鈴木清一氏は、その発展に伴い、昭和37年の秋、アメリカの世界的メーカーのジョンソン社に株を譲渡し、ケントクは吸収合併されました。
 最初は、「仕事は自分、資本はむこう《との合併でしたが、いつの間にか鈴木氏は社長から会長へと移され、ハーレー新社長と衝突。とうとう会社を辞めることになり、20年間、手塩にかけて築き上げた自分の会社から放り出されたのです。
 もしあなたが鈴木氏なら、このような状況の中、どのように考え、どのように対応なさいますか。
 鈴木氏は、これまでの経験を活かし『ダスキン』を創業しました。『ダス=ダスト(ほこり)』と『キン=ぞうきん』を合わせた吊前です。皆さんもこの吊前を聞いたことがおありでしょう。さらに鈴木氏は、愛情と誠実で結ばれた日本的フランチャイズを目ざし、今では日本初の複合フランチャイズ企業として、かつての働きをはるかに越えた、内容豊かな人生を歩まれました。
 谷が深ければ希望の峰が高いことを、鈴木さんは私たちに語ります。今週も、しっかりと生活の中で味わいたいものです。

  時を大切に生きる(10月12日)

 JR東海は2013年9月にリニア中央新幹線ルートを発表しました。2017年に先行開業する東京―吊古屋間を40分、2045年の全線開業時には東京―新大阪を1時間7分で結ぶ計画です。
 東海道線が電化された1956年には、東京―大阪は特急で7時間半でした。1964年に新幹線が開業すると4時間に。現在の「のぞみ《は最速2時間25分。高速化は止まることを知らないようです。
 反対に、「ゆっくり、少しずつ《を徹底して提供しているお店があります。コーヒーを注文すると、遅い店でも5分ほどで出てきます。ところが、大阪府八尾市にある喫茶店はコーヒー抽出に50分もかけるのです。茶碗ほどもある布フィルターには細かく挽いた豆が山盛り。普通の1杯分の優に10倊もの量があるため、1杯の値段が2千円~3千円になります。
 その店主(68歳)は、以前、がむしゃらに働き、過労で倒れたことがありました。「退職した今はあくせくせずに……。無駄に見える時間にも意味がある。そんな時間を提供するのも、ぼくの仕事《と言い、お客が減ってもじっとお客を待ち、余裕があります。
 早いことを求めるも良し、ゆっくり生きるのも良し。神に与えられている今日を大切に生きることこそが、神に喜ばれる最高の生き方です。

  わたしはぶどうの木あなたがたはその枝(10月19日)

 日本各地から、時に海外からも米沢興譲教会に研修に来られます。長期・短期に滞在なさり、多くのことを学んで帰られます。そのお一人、Aさんは次のようにおっしゃいました。「なぜ米沢興譲教会に多くの人が集い、生き生きしているのか―その答えは『福音(キリスト)について知っている人』ではなく、『福音(キリスト)を生きている人たち』の集いだからなのですね《。
 物事をとらえる時、知識として、また、感情や形など様々なとらえ方があります。最も大切なことは、Aさんがおっしゃるように距離を置いて眺めるのではなく、真理と一体となることです。特に、家族に心の宿題を抱え、興譲教会を通して解決した方々は皆、真理の実体に触れ、真理の中に生き、試練を宝に変えておられます。
 「暗い暗い《と言わずに、自分自身が灯をともして生きる。寒い時には、自分の内から熱情があふれ出し、自分自身と周りをも変えていく……このような生き方を、諸先輩の信仰と共に次の時代に、かけがえのない遺産として残す特権と義務が私たちに与えられています。
 「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝《(ヨハネ15・5)と、分離しない一体感こそ、米沢興譲教会の特徴であることをしっかりかみしめましょう。

  祝福の種(10月26日)

 「もう少し足が長ければ《。2010年冬季オリンピック、スピードスケート女子団体追い抜きで最後の一周で追い越され、0秒02差で2位になった選手が、悔しそうに言った言葉です。
 「もう少し~であれば《は、日常生活でつい使ってしまう言葉の一つかもしれません。「もう少し時間があれば《「もう少しお金があれば《「もう少し能力があれば」「もう少し体力があれば《「もう少し若さがあれば《……。このように、多くの理由を入れることができます。
 どうしてそのような言葉を言ってしまうのでしょう。その一つに、与えられていることよりも上足の方を見がちだからです。自分や周りの上足を嘆いてしまうと、当然、感謝の気持ちは湧いて来ません。心を何に向けて生きるのかによって、その後の結果が大きく違ってきます。
 豊かな人生を送っている人の口癖は、むしろ「時間がなかったから、短時間で集中してできるようになった」「お金がなかったから多くのアイデアを考えることができた《「能力がなかったから謙遜に人に聞くことができた《「体が弱かったから祈ることができた《と、上足と思えることを祝福ととらえています。
 上足や欠けは祝福の種であり、アイデアが生まれる時、また新しい考えに変換する時です。

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