2023年2月の霊想

神の作品(2月5日)

「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。」(エペソ2:10)

法隆寺・薬師寺の宮大工棟梁、西岡常一(にしおかつねかず)氏は、「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」と伝えています。建物の南側の材料は南側で育った木を使い、北側の材料は北側の木を用いる、というように組み合わせて全体を建てあげていきます。そうするのは木には育った環境によって癖ができるからです。

たとえば、風に枝をねじられた木には、何とか元に戻ろうとする性質が生まれ、それが木の癖というものになります。それを見極め、それぞれの癖、個性を生かしてこそ風雪に耐える立派な堂塔が建つというのです。実際にこうやって建てられた建築物は、時間と共に強さが増し、何百年を経ても、美しさと品格が漂います。

あなたという神の作品は、人前に出せる立派な材料のみを集めて作られるのではありません。人には言えない苦労も、神はそこから「忍耐」という材料を取り出し、あなたという作品に加えて下さいます。

神様は私たちの人生の全てを使って、私たちを神の作品へと造り上げて下さるのです。神が与えるものを感謝して受け、今週も信仰の一歩を進めてまいりましょう。

いないはずの神(2月12日)

教会でお招きした講師がお泊まりの部屋には、事前に花とメッセージカードをお届けします。思わぬ所に励ましが届けられているのを知ることは、大きな力となります。預言者としてのエゼキエルの力の原点はそこにありました。

エゼキエルはバビロン捕囚時代に活躍した預言者です。その当時、イスラエルの民は彼らの神がバビロンの神に敗れたのだと考えました。しかし、その異国の地で、エゼキエルの面前で幻が始まり、彼は神の栄光の姿を見ます。「いないはずの神」との出会いです。これはエゼキエルの預言者活動の尽きない原動力となりました。

K先生がアメリカの神学校で学んでいた時の話です。隣のアフリカ人神学生の部屋から大音声が流れてきました。明らかに英語ではなく、聞き慣れた音です。何とそれは米沢興譲教会の礼拝説教テープだったのです。「なぜ遠く離れたアメリカの地で、しかも日本語のわからないこのアフリカ人学生が!」。K先生は、一人離れたこの地にも神は共にいて下さり、励まして下さっていることが骨身にしみて分かりました。彼の勉強と神への献身が更に深まったことは言うまでもありません。

いないはずの所に、神は救いの手を差し伸べ、御自身の存在を表して下さいます。今週もその神との出会いを大切にして参りましょう。

やさしさがこぼれてくる(2月19日)

メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手は、打席に立った時に、「打てる球に対してバットを振る。いいスイングを心がければ良い」と達観しています。クリスチャンの強さを養う秘訣がここにあります。

神様が投げるど真ん中の直球は、「神は愛である」(第 1ヨハネ 4:8)です。毎日色々な球が投げられてくる中で、「神は愛」というストライクを選んで、逃さずバットを振るのです。ところが、実際は曲がる球あり、ストンと落ちるボールあり。中には体にぶつかってくる球でダメージを受ける時があります。神が愛だとは見えない現実の中で、「神は愛である」という選択をし、愛というストライクだけを狙って打つ。これが神の祝福を受けるための鍵となります。

そのように選択を変えた画家のM兄がおられます。彼は教会に来る前、人生の不遇や恨みつらみを全て絵を描くエネルギーにしてこられました。しかし、神の愛を知り、神の愛を目に止める選択をするようになってから画風が変わり、暖かい絵が多くなってきました。作品展の中で、「祈りの手」という色もタッチも明るさも一変した絵が注目を浴びました。購入した方のひとこと。「やさしさがこぼれてくるようだ」。

今週も神の愛を選んで参りましょう。

心の刃を磨く(2月26日)

アメリカ合衆国第16代大統領リンカーンの名言の中に「木を切るのに6時間使えるなら、そのうち最初の4時間は斧を研ぐために使う」という言葉があります。鈍った刃で苦労して非効率的な労働をするより、道具をきちんと揃え、刃を磨くことに時を費やせば、短い時間で効率的な働きができるということです。

クリスチャンにとって「刃を磨く」ことは毎週の礼拝です。リンカーンの言う「斧を研ぐための4時間」とは、クリスチャンが定期的に神を礼拝し、御言葉に触れ、祈りを通して神の御心を尋ね求める時間です。

そこでは、「私は何のために存在しているか」の再確認をするのです。この世で6日間も働いていれば、自分が生かされている意味や、自分が今いる位置があやふやになって、ぼやけてしまいます。神は7日に1回、安息日を設け、天を仰いで神を礼拝することを命じられました。週に一度のこの時、まず労働を休止し、イスラエルの民がエジプトの奴隷から解放されたように、私たちは罪の奴隷から解放され、救われていることを再確認します。そして、「私は何のために存在しているか」と心の斧を研ぎ直し、翌日からの6日間に向かっていくのです。

神はあなたを祝福するために安息日を与えられました。今日のこの日、私たちの心の刃を磨く時を持って参りましょう。

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