2023年3月の霊想

身の預け先(3月5日)

日本人の特徴を、精神科医の和田秀樹氏が、次のように指摘しています。「予期不安が強い割に、実際にそうなった場合の対策を立てていない人が多いという。たとえば、ガンになりたくない、と言って、しょっ中、ガン検診を受けている人がいますが、実際にガンになった場合に、どの病院に行くかを決めている人がいない」(『70歳が老化の分かれ道』詩想社新書)。

自分個人の意見を持つよりも、みんなが検診を受けるから自分もと流される人がいます。物事を具体的に考えるのが苦手な人もいますが、中には不安でいることに存在感を見いだす人もいます。和田氏が言っているのは、たとえ結果が良くなくても対処できる心構えを持ち、医療であれば、その場合の身の預け先も考えておく必要があるということです。

その際に、神様との関係が強固であれば、心を平安に保つことができます。そのために、自分の土台となるみ言葉を絶えず暗唱することです。それと共に、「生きることは祈ること」、「祈ることは生きること」と、あなたの存在と祈りが一体化する世界に向けて、今日一日、そして生涯を生きていきましょう。神との一体化の中で、必ず、平安、愛、喜び等、あなたならではの良き実を結びます。

祝福のラベル(3月12日)

神様は毎日天から祝福を注いでおられるのに、自分は受ける価値も資格もない、と与えられたものを捨ててしまう人がいます。自分の心に「私はダメ人間」というラベルを貼って生きている人です。ダメな人間と思うと、それにふさわしい否定的なものを拾い集め、祝福は「私には合わないもの」と拒否します。ですから、せっかくのアドバイスも自分への攻撃と感じ、防御的になり身構えてしまうのです。

そのような人を探し求め、会いに来て下さった方がイエス・キリストです。「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)。あなたが神の祝福を受けることが出来るようにと、「ダメ人間」というラベルをご自分の「祝福された人」というラベルと交換して下さいました。これが十字架上でなされた神との和解です。

「和解」というギリシャ語には「交換」という意味もあります。人間の「罪」と神の子の「栄光」の交換がなされたことに気づいた宗教改革者のマルチン・ルターは、これを「喜ばしい交換」と呼びましたが、その背後には、「歴史上最も不平等な交換」を喜んでして下さった神の愛があるのです。

今週も「祝福」というラベルが自分に貼ってあることを確認しながら歩んで参りましょう。

へりくだり(3月19日)

「しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、『神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う』とある。」(ヤコブ4:6)

米沢興譲教会の「興譲」とは「謙譲(けんじょう)の心を興す(おこす)」ということで、へりくだる者に恵みを与えるという今日の聖句が由来となっています。

ただし、謙遜とは「私はダメです」「私なんか何にもできません」と自分を過小評価することではありません。それではかえって自分を卑下する傲慢となってしまいます。ダメな私、基準を満たさない私、罪人なる私…。その私のために十字架で苦しみを受け、犠牲の死を遂げて下さったイエス・キリストを心に受け入れることが真のへりくだりです。

そのためには、この私のどうしようもない傲慢さを、キリストが私の代わりに神の前で謝って下さり、赦しを私の前に差し出して下さったことを、実感は湧かなくても、信仰によって受け入れるのです。言い換えれば、「傲慢な私のままで赦され、生かされていることに気づき、それで良いと言って下さるイエス・キリストと共に人生を生きる」ということです。ここから、へりくだる者としての恵みの人生が始まります。

今週も神の前にへりくだって歩んでまいりましょう。

ゆだねる人生(3月26日)

「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。」(詩篇55:22)

「サザエさん」の著者長谷川町子さんは、16歳の時に「のらくろ」の作者である田河水泡さんの家に住み込みで弟子入りしました。その年齢で家を離れたのでホームシックになった町子さんは、お母さんが熱心なクリスチャンだったことから、「毎週教会にだけはかよいたいから、日曜にお暇がもらえるようにおねがいして」と手紙を出しました。

信仰第一のお母さんはすぐに来てくれ、こう言いました。「どうぞ町子を、よろしくお願いいたします。何も望みはございませんが、たった一つ、日曜日には、どこの教会でもよろしいのですが、お近くの教会の礼拝に、出席させてくださいませんでしょうか」。お母さんはストレートにお願いし、結果を神にゆだねたのです。すると、思いもかけない展開になりました。植え込みの茂みで見えませんでしたが、隣が教会だったのです。このことがきっかけで田河水泡・高見澤潤子夫妻はクリスチャンとなり、戦後の日本に大きな影響を与える人となりました。

あなたの荷を主にゆだね、支えられる経験を今週も一つ一つ積み上げて参りましょう。

-

© 2024 Yonezawa Kojo Church