祈りの戦い(4月2日)ダニエル書第10章には、祈りの答えの遅延の理由が書かれています。ダニエルが3週間の断食祈祷をした後に御使いが現れ、「ペルシャの国の君が、二十一日の間わたしの前に立ちふさがった」(ダニエル10:13)からだと明かしたのです。 地上での私たちの祈りは、祈った瞬間に神の耳に入っています。しかし、天には天の知られざる事情があるのです。私たちがなすべき生き方は、自分自身を励まし、祈りを通して最善に導かれていることを信じて生きることです。 K子さんは毎年検診を受け、食事にも気をつけて健康維持に努めてきました。ところが、検査で腫瘍が発見されたのです。彼女は祈らされました。ダニエルには3週間の祈りの戦いの期間がありましたが、K子さんもそれと同じような祈りの戦いの時を過ごしました。 そして、「毎年検査を受けていたから、このように早期発見ができたのだ」という思いに達しました。K子さんは平安の内に手術に臨み、あれよあれよという間に退院なさいました。この経験を通して神様は彼女にさらなる霊的深みを与えられ、お仕事や人間関係において、神の賜物を発揮できるようにしてくださいました。 祈りは聞かれています。最善の結果となることを信じ、安心して今週も一日々々を過ごして参りましょう。 |
信仰の一歩(4月9日)「ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった」(マルコ16:4) イースターの朝、マグダラのマリヤたちはイエス様のなきがらに香料を塗ろうと出発しました。彼女らは、「石は取りのけられてある。誰かが動かしてくれる」という堅い信仰を持って出向いたのではありません。「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」(マルコ16:3)と心配を抱えながら行ったのです。 しかし、そこで見たものは、人間の限界である「死」という大きな石が「すでにころがしてあった」という現実でした。この事実を確認するのがイースターです。 この女性たちのように100%の堅い信仰を持たない自分であったとしても、まず一歩踏み出してみること。ここが信仰の勘所です。「あの石があるからできない」という思いはあっても、その場に行ってみることなのです。すると、たとえ、からし種一粒ほどの小さい信仰の一歩であっても、神はそこに命を見出して下さり、山のような大きな石を動かす御業をなして下さいます。 イースターは、あなたが信仰の一歩を踏み出す日です。復活の主と共に、踏み出す記念日として参りましょう。 |
本当の祈りの生活(4月16日)「また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に教えられた。」 (ルカ18:1) この聖句は、正しい裁きをするはずの裁判官が、自分を悩ますやもめのために不正な判決をするという箇所です。このような極端な内容を挙げてイエス様が教えたかったこととは、「不義の裁判官でも何度でも頼まれれば行動を起こすのなら、まして人間を愛する義の神は、人の祈りを聞き、動こうとする」ということです。ですから「失望せずに常に祈るべき」なのです。 ただし、失望せずに常に祈れと言われているということは、すぐに失望して祈れなくなるのが人間だからです。ですから、気を取り直して祈っても、その日の内に祈りがかなえられないと、神に見切りをつけてしまいたくなったり、祈ったことさえ忘れていたりすることもしばしばあります。私たちは、望みを失いやすい者であり、そして、祈りを続けられない者なのです。 しかし、神は忍耐深くあなたを待っておられます。もう一度あなたが祈りの場に戻ってくるのを辛抱強く待っておられるのです。何度でも失望しましょう。またそこから立ち上がればいいのです。「神は私の祈りを聞こうとしておられる」という思いを支えにまた祈る。それが本当の祈りの生活です。 |
順境と逆境(4月23日)円高の時代には、日本から海外旅行に出かけると有利です。逆に円安の時代には、日本に来る外国人観光客が増えます。円安・円高、そのどちらにも利益・不利益があります。自分がどちらの立場に立っているかで、逆境ともなり順境ともなるのです。 聖書は、順境と逆境は共に神が創りだしたものだと語っています。「わたしは光をつくり、また暗きを創造し、繁栄をつくり、またわざわいを創造する。わたしは主である、すべてこれらの事をなす者である。」(イザヤ45:7)。その日々の過ごし方の秘訣は、「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。」(伝道の書7:14)です。 逆境は悪魔が作り、順境だけが神が作ったもの、とは考えないことです。順境も逆境も共に神の御手の中にあり、神が創りだしたものなのですから、逆境を避けようとしてあくせくしないことです。その時は考えればよいのです。そして、順境の時は神が与えてくださったものを感謝して受け入れ、安心して喜び賛美していればよいのです。 順境なら楽しみ、逆境なら考える。そのありのままを受け止め、神と共に歩む一日々々を送って参りましょう。 |
そしてそのとおりに(4月30日)「そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。」 (ルカ5:6) 神の介入に出会うためには、どうしたらいいのでしょうか?そのためには、「そしてそのとおりにしたところ」という言葉がキーポイントです。「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」というキリストの言葉に対し、プロの漁師のペテロは、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした」と、一旦は抵抗を示します。しかしその後すぐに、「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」と、イエス様の言葉通りに行いました。これが彼の人生を変えたのです。 私たちが神の言葉を疑う時があるのは当然のことです。本当にそうか、嘘ではないのか、とクリスチャンの先輩に尋ねてみます。しかしどんなに素晴らしいクリスチャンからも、ピッタリと納得の出来る答えは出てきません。あなたが真に「なるほど」と思える答は、「そしてそのとおりにしたところ」という行動の後に与えられます。そこで私たちは今も生きておられる神に触れ、そこから、何ものにも揺り動かされない信仰生活がスタートしていくのです。 神の言葉を聞き、その通りにしてみましょう。信仰のエンジンがかかり出します。 |
2023年4月の霊想