2023年11月の霊想

嫌なことに従う(11月5日)

「なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。」(ローマ8:5)

 

伝道者を目指す人の第一歩は、嫌なことに強制的にでも従うことです。すると、自分と同じように嫌なことに従って黙々と生きている人たちの姿が目に入ってきます。自分がその一員になって初めて同じ視線でものを見ることができるようになるからです。

そうすると、自分が今まで愛を施してきた、伝道してきたと思っていたことは、実はその方々の下支えによって成されていたのであって、何と自分は多くのわがままを通させてもらってきたかということが見えてきて恥ずかしくなるほどです。牧師・伝道者を志す人はこの点において打ちたたかれなければなりません。

教会の指導者を目指す人は、「キリストのしもべ」という化けの皮が剥がされて、「傲慢で野心満々の私」という自分の本当の姿を知らなければならないのです。そして、その「神から最も遠い私」が神から愛されている、という恵みを発見し、その恵みに浸るのです。赦されるはずのない私が赦されている。最も愛のない者が神から愛されている。この恵みこそが、人々にキリストを伝える伝道のエネルギーとなります。

嫌なことでもチャレンジする今週でありますように…。

聖書を読む(11月12日)

キリスト教に興味を持った人が聖書を読み進めていく時に、抵抗を感じる箇所があります。「神の子」という表現に出会った時などがその典型的な例です。キリストはどうやって神の子となったのか、とか、その正当な根拠などが示されないまま、いきなり神の子と言われると、「それは全く独りよがりの押し付けではないか」という思いが湧いてくるからです。

そのような時は「聖書は古典なのだ」と考えるとうまくハードルを乗り越えられます。「この箇所は私にとっては“?”マークがつくけれど、今までの人類が古典とするほどの内容なのだから、きっと意味があるのだろう」として、わからない箇所や受け入れられない部分は一時的にやり過ごすのです。わからないものを無理やり納得したように自分に言いきかせるのは欺瞞です。「今は分からないし納得できない。しかし後になって人生経験を積んだら、わかるのかもしれない。まずは読ませていただこう」。それが聖書に向かう時に必要な謙遜な態度です。

正直に、自分の気持を偽らずに聖書に向かう時、神様は私たちを導いて下さいます。そう信じて、まずは古典として、次に私たちに命を与える信仰の書として聖書を読み、何よりもイエス・キリストの人格に触れるように心がけて読んでみましょう。そこに新たな人生の道が開けていきます。

憂いから喜びへ(11月19日)

旧約聖書を読む時は、「中心的メッセージは何か」を心にとめて読むことが必要です。つまり、「一番伝えたいと思って記されていることは何か」を忘れないで読むのです。すると、枝葉の部分に惑わされず、きちんと幹の部分を追うことができます。

エステル記は、当時ペルシャに生きるユダヤ人たちに、「憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変った」(エステル記 9:22)という出来事があったことを伝えています。このことを忘れないために記念として毎年プリムの祭りを行うことが定められました。ここから得られる中心的メッセージは、①祝福は神を信頼し、忠実に与えられた責務を果たしていく先に与えられる。②このことを忘れないために定期的に記念の祭りをする、ということです。

現代に生きる私たちへの応用は、①とは聖書通読と祈りを通して聖霊に導かれた生活をすること。そして、②とは毎週の礼拝を守る、ということです。この生き方をしていく時、今あなたが憂いと悲しみを味わっているとしても、「憂いから喜びに変り、悲しみから祝日に変った」と告白できる日が必ずやってきます。

憂いは決して永続しません。必ず喜びと祝日に変わる時が来ます。聖書の神の約束を信じ、祝福の方向への一歩を踏み出して参りましょう。

こころの筋トレ(11月26日)

ある人が交通事故に遭った後、驚異的回復を果たされました。普段から「筋トレ」をしていたからです。傷ついた内臓や細胞を修復するのに、人間の体は筋肉を分解してその材料にあてるので、「筋肉は体の貯金」なのだそうです。さて、私たちの「心の貯金」は何でしょうか?それは神が今までなして下さった恵みを繰り返し思い起こし、確信を強めることです。

詩篇第48篇の記者はイスラエルの過去の歴史を振り返ります。それは、何度も外敵の侵入に脅かされ、被害を受けましたが、歴史を支配される神がその王たちを打ち負かされた歴史です。彼の確信は未来にまで発展し、「これこそ神であり、世々かぎりなくわれらの神であって、とこしえにわれらを導かれるであろう」(詩篇48:14)となって結ばれます。

あなたの過去にも大きな出来事があったことでしょう。今振り返って、「よくあんなところを、倒れもせず、やってこれたものだ」と思わないでしょうか?そこに神の恵みの力づけがあったのです。そのことを繰り返し繰り返し思い起こすこと。これが心の筋トレです。

過去の心の傷が多ければ多いほど、心の筋肉トレーニングの機会は増え、心の貯金は増えていきます。少しずつ心を鍛え、いざという時に力を発揮できる者とさせていただきましょう。

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