2023年12月の霊想

誰と共に歩むか(12月3日)

前向き肯定的言い換えに最も効果的環境は、そのように言う人のそばにいることです。「そうか、こういうふうに使うのか」と生きたコツがつかめるからです。

前向きAさんが練習生Bさんに「嫌な人がそばにいると、本当にやり…」と言いかけた途中で、Bさんはその続きを「本当にやりにくいね」と予想しました。ところが前向きAさんは「本当にやりがいがあるね」と言ったので、Bさんは唖然としてしまいました。「そうか、そういうふうに考えるのか!」。Bさんは新鮮な驚きと感動を持って、さらに学習意欲が高まりました。そこでBさんは、「やっぱり前向き肯定的に生きるしかないですよね」と言うと、Aさんはニッコリ笑い、「そうですね。さらに『前向き肯定的に生きるのが最高』と言うと、もっといいですよ」と、否定でなく肯定的な言い方で直してくれました。Bさんが「あっ、またやっちゃった!まだまだだな」と言うと、すかさずAさんが「まだまだ成長の余地がたくさんありますね」。どうやらこの世界は無限の成長が期待できるようです。

あなたが今日、誰と共に歩むかで世界は変わります。「からし種一粒ほどの信仰があれば山をも動かす」と言われた前向きの塊であるイエス・キリストと共に、今週も歩まれますように…。

希望を持つ(12月10日)

コロナウィルス拡大による外出自粛で、高齢者の孤立化問題が浮き彫りにされました。体が衰え、助けも少なくなっていく、そんな時期でも、自分を支えるにはどうしたらよいのでしょう。

詩篇第71篇の記者は老年になって苦難を味わいます。しかし彼は希望を持っていました。それは、彼が若い時から神を知り、その恵みを知っていたからです。

「主なる神よ、あなたはわたしの若い時からのわたしの望み、わたしの頼みです。」(詩篇71:5)

老年になってから思わぬ災に遭っても、恵みの積み重ねがあれば、それに支えられて立ち続けることができます。『希望』こそが人生を支えるのです。

プラス思考を世に広めたノーマン・V・ピール牧師は、「今日一日、仕事や健康、将来のことなど、何についても、落ち着いて希望を持って話すようにしなさい」と勧めます。とにかく今日一日、希望に満ちた話をする練習をし、それを今日一日だけでやめないで1週間続けよ。とピール牧師は説きます。するとどうなるのでしょう?希望に満ちた話が現実的だと思えるようになり、1週間前に感じていた悲観的事実が、実はそう思っていただけに過ぎないという事に気づくのです。

希望を持つのに遅すぎることはありません。今週も神の恵みを見出し、望みを抱いて未来を見ていきましょう。

神の霊のシャワー(12月17日)

若い方々から仕事上の悩みを聞く時、多くは人との比較で悩まれているようです。「職場の先輩のトーク力に比べると、私は全然喋れない」とか、「他の人より私はネガティブだ」。

このような時は、短所だと思っていることは実は長所なのではないかと気づいてもらうようにします。「話せないとは、余計なことを喋らないで、要点だけを的確に話せるということではないかな?」、「ネガティブとは将来の否定的要素を事前にキャッチできるということで、危機察知能力があるのでは?」。そう言えるのは、「神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった」(創世記1:31)との御言葉を土台としているからです。創造は良きものであるという前提で見る時、欠点だと思えるものが実は長所として輝いているのが見えてきます。

自分はこれでいいのか、と悩む時は、まず神の霊のシャワーを浴びることです。それは、神様が自分をどう思っていらっしゃるのか、御言葉を再確認することです。神はご自分のひとり子を十字架につけて罪ある人間の身代わりとするほど、私たちを愛しておられます。この限りない愛を注いで下さる神がいらっしゃると信じて生きる時に、霊のシャワーで私たちの心が洗われ、自分の表も裏も見えてきて、真に進むべき方向が見えてきます。

救い主は来られた(12月24日)

「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。」(ルカ2:10)

 

「雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう」の歌い出しで始まる山下達郎さんの「クリスマス・イブ」。今やクリスマスの定番ソングとも言えるこの曲を決定的にしたのは、「きっと君は来ない」という印象的なフレーズです。「きっと」の後には「来る」が続くはずなのですが、その逆の「来ない」とすることで、「来てほしいけれど、多分無理。でも、わずかな希望を持って今待っている」という恋心が見事に表現されています。

聖書が証する真のクリスマスは、「きっと来ない」でも「きっと来る」でもなく、「すでに来た」です。二千年前、ユダヤのベツレヘムで幼な子が誕生し、この世に救い主が「来た」のです。この事実は変えようがありません。ですからクリスマスは、「すべての民に与えられる大きな喜び」です。いつ実現するかわからないものを不安な気持ちで待つのではなく、既に実現した救い主の誕生を安心してお祝いする時だからです。

すでに私たちのいる所に来られ、今も生きて働いておられる救い主イエス様と共に、今年のクリスマスを過ごしてまいりましょう。

退いて祈る(12月31日)

「朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。」(マルコ1:35)

 

アメリカの牧師は、リトリート(retreat)と呼ぶ長い休暇を取ります。教会によっては6年間伝道牧会をしたら、次の7年目は牧師に1年間の休暇を取らせます。その1年は、牧師は一切の責任から解かれ、心も体も休ませてリフレッシュし、霊的成長の1年とするそうです。

退いて祈る時間を持つ。これが霊的健康の鍵だとイエス様ご自身が示しておられます。イエス様は神の大いなる働きをした後、必ず退いて祈りの時を持たれました。それは「朝はやく」であり、「寂しい所」と書かれていますから静かな場所です。

私たちも、教会で霊とまことを注ぎ出して奉仕をさせていただいた後は、一人退いて、このように祈りましょう。「神様、あなたの働きによってこんなにも大きな祝福を見させていただきました。初めから終わりまで支えて下さったことに感謝します」。そう祈るところにサタンのつけ入る隙はありません。

今週、どこかであなたの活動を休止し、神を思う時間を持ちましょう。そこで語られる神の言葉が、それ以降のあなたの時間を潤します。

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