2024年1月の霊想

祈りに導かれる時(1月7日)

イスラエルの民が捕囚されたバビロンから解放され、帰還する際、護衛を断ったのが学者エズラでした。彼らは相当の金銀青銅を携えてエルサレムまでの約4ヶ月の旅に出なければなりません。しかし、エズラは普段からアルタシャスタ王に「われわれの神の手は、神を求めるすべての者の上にやさしく下り、その威力と怒りとはすべて神を捨てる者の上に下る」(エズラ記8:22)と言っていたので、その信仰を守り通そうとしたのです。

これは我力の信仰で、まだ自分自身が主導権を握っている段階の信仰です。やがてやせ我慢にも限界が来ます。「本当に賊に襲われたらどうしよう?」「自分が倒れたらこの人たちはどうなるのか?」。我力の信仰の持ち主には、必ずこのような思いが次々と湧いてきます。驚いてはいけません。それが神に導かれている人の順調な姿です。不安と心配で押しつぶされそうになった挙句、搾り出すようにして出るのが「祈り」だからです。

エズラは断食をし、神の前に身を低くせざるを得ませんでした。神はそのようにして私たちを祈りへと導かれます。

不安と心配は神様からの招待状です。その招待状には「祈りなさい」と書かれてあるのです。不安と心配の中で、安心して祈りましょう。神に求める中で、私たちの想像を遥かに超えたみわざを神は見させて下さいます。

災いの対処法(1)(1月14日)

災いは突然やって来るものです。私たちはどう対処すべきでしょうか。まず第1に、災いが来てもいいように備えておくことです。

人に災いをもたらそうとするサタンは、神に対してこんな愚痴をこぼしています。「あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか」(ヨブ記1:10)。神様が垣根を設けていたので、サタンはヨブに手を出せませんでした。聖書のみ言葉が信仰の防波堤です。

「主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない」(詩篇91:4-5)

親鳥が雛を羽で覆い守るように、神は私たちを覆うので、その下にいる人間は災いを避けることが出来ます。また、大盾で身を隠し、敵の火の矢を防ぐことも出来ます。夜の恐ろしい物、昼に飛んでくる矢とは、不意に襲ってくる不安や心配です。私たちが神に信頼を寄せる時、これらの災いから守られます。私たちがすべきことは、み言葉を宣言し、神の守りを告白することです。これがサタンを容易には寄せつけない垣根作りとなるのです。

今週もみ言葉に信頼を置き、み言葉の宣言に励んでまいりましょう。

災いの対処法(2)(1月21日)

前回、み言葉の宣言が災いを防ぐ垣根だと申し上げましたが、神様ご自身がその垣根を取り払う時があると、聖書は語っています。

サタンが神に訴え出た後、神はサタンにこう言います。「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」(ヨブ記 1:12)。ヨブが張り巡らし、また神ご自身が備えられたはずの垣根でしたが、一つ、二つと神は外され、それに乗じてサタンはヨブに次々と災いをもたらしました。あえて神様は私たちに災いが来るのを許可されることがあります。しかし、その背後には必ず神の意図があるのです。

大阪で英語講師をしていたJ.V.マーチン宣教師は、たまたま東京で関東大震災に遭遇しました。マーチンは被災者が身を寄せあう明治学院のグラウンドで、夕闇に浮かぶ十字架を発見しました。それはどうやらの中で光るろうそくの光だったようです。そして、大災害のただ中にもキリストが共におられるという感動から生まれたのが「とおきくにや」(聖歌397番)です。

人は皆それぞれ、納得できるまでには様々な経路を通り、苦しみながら自分の答えを出し、その答えがそれ以降の人生を支えていきます。神の防波堤が崩れたように思う時は、あなたにしか与えられていない神の答を見出す時です。さらなる信仰の深みへと邁進して行きましょう。

奇跡を信じる(1月28日)

相対性理論を唱えたアインシュタインは、同じ物理学の友人と夜道を散歩していた時、突然、「君は、君が見上げているときだけ月が存在していると本当に信じるのか?」と尋ねました。彼は物理学の量子論に反対の立場を取っていたからです。しかし、電子等の大きさのミクロの世界では、人間が観測した時は存在は確立しますが、観測していない時はその存在が有るか無いかわかりません。それが実験で証明され、2022年に3人の科学者がノーベル物理学賞受賞となりました。

アインシュタインさえも届かない領域があり、さらにそのまた先の大きな理論がこの世界にはあるのです。イエス・キリストの奇跡も、説明はできなくても、実際にあったとして信じる理由がそこにあります。

聖書は科学的真理を伝える書ではありませんので、5つのパンと2ひきの魚がどのような物理理論で5千人の人々が満腹するまで増えたのかは説明しません。私たちが知り得るのは、イエス様が「天を仰いでそれを祝福して」ということです。信じる者に与えようとされる愛の神がいらっしゃるという信仰があり、その神の祝福を素直にいただこうとする時、5千人の人々が満たされたのです。

神は人間の理解を遥か超えたところにおられます。救い主を送り、私たちの罪を赦して祝福を与えようとする御方がいらっしゃるのだと、ただ信じる今日としてまいりましょう。

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