2024年2月の霊想

最高の霊的体験(2月4日)

米沢市で「星野富弘 花の詩画展」が開催され、延べ四千人近くの方々が来て下さいました。星野さんは落下事故で首から下の身体が動かなくなり、人生に絶望した後、キリストの福音を信じてクリスチャンになられました。

では、神を信じたので元のように動けるようになったでしょうか?いいえ、体はそのままです。しかし、キリストの福音に生きている喜びと感動を、その絵と詩に表し、全く動けない人が人々の心を動かし、四千人の足を運ばせるという出来事が起きたのです。

キリストが来られたのは身体の癒しが目的ではなく、神と人との関係を正しくするためであり、それが神の側からもたらされたという福音を伝えるためでした。つまり、霊・肉・魂を含めたトータルな救いが目的です。

もちろん、イエス様は愛ゆえに人々を癒されましたから、神に癒しを求めていっこうに差し支えありません。また、癒しを体験し、そこから神を信じる道を歩まれることもあることでしょう。しかし、は霊的体験の中で言えば小さい方なのです。人間の世界も天上の世界も全てを知り尽くし、しかも支配しておられるイエス・キリストの言葉を聞き、それに従って生きること。それが霊的体験の最上のものなのです。

今週もその最高の霊的体験を積み重ねて参りましょう。

肯定語を話す(2月11日)

「もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この山にむかって『ここからあそこに移れ』と言えば、移るであろう。このように、あなたがたにできない事は、何もないであろう。」 (マタイ17:20)

ロサンゼルスで日系人の教会の集まりがありました。皆日本人の顔をしていますが、日本から来た人とアメリカで生まれ育った人とは言葉の点で違います。日本語と英語の両方使えるバイリンガルではあっても、アメリカ育ちの人は英語の方が得意ですから、「本当?まさか!」と言うよりも、“Really? You're kidding!” と言ったほうが楽なのです。20~30分もすれば、会場は日本語グループと英語グループの2つに分かれていました。

この例でわかるように、否定語を話す人たちは言葉が通じ合う否定的人を見つけ出し、「やっぱりダメだよね」というコミュニケーションをして理解し合うのです。一方、肯定語を話す人たちは同じ肯定的人と話が合います。「こうするとうまくいく」「やれるところまでやってみましょう」。

もしあなたが前向きな人を見つけたいと思ったら、あなた自身が神の命のメッセージに触れ、そこから生まれる前向き肯定語を使い続けること。これこそが一番の秘訣です。やがて同じ言葉を使う肯定的人と出会い、その良きモデルを通してあなたの人生が変わっていきます。

大丈夫、救われるよ(2月18日)

全国的に活躍しておられる牧師先生をお招きして、中高生のための特別伝道集会を開いた時のことです。
講師の先生は聖書の話から始めず、自分がどんなに嘘つきであったかを話し出しました。その話の面白いこと!会場は爆笑に包まれました。

やがて、唐突にその先生が、「僕と同じように嘘をついたり、お父さんお母さんをだましたりしたことのある人、この中にいるだろう。手を上げてごらん」と言うではありませんか。一人、二人、チラホラ手を上げる中高生がいます。「ほら、やっぱりいる。他にもいるだろう、僕と同じ人が?」と、犯罪者を取り締まるような態度ではなく、楽しい雰囲気で言うので、そこに集まったほぼ全員が手を上げました。「なーんだ、やっぱりそうか!大丈夫、みんなイエス様を信じれば罪が赦されて僕と同じように救われるよ」と、そこから本格的にキリストの福音の伝道説教となり、その集会で多くの中高生がイエス様を受け入れる決心をしました。

あなたの過去は過去としてそこに残っています。しかし、十字架の赦しを信じて生きるとき、神はそれを神の器として用いて下さり、そのことがあったゆえに神の祝福がこの世に広がり、あなた自身もその祝福にあずかる人生が用意されているのです。
神のゆるしを受け取る今週として参りましょう。

いのちの時間(2月25日)

ハンセン病患者に寄り添った神谷美恵子医師は、死が間近に迫った頃、「残る日々」という詩を書きました。

 

ふしぎな病を与えられ

もう余り生きる日の少なきを知れば

人は一日一日を奇跡のように頂く

ありうべからざる生として

まだみどりも花も見ることができ

まだ蓮の花咲く池のほとりをめぐり

野鳥の森の朝のさわやかさを

味わえることのふしぎさよ

(『愛生』、神谷美恵子著、第34巻第2号より)

 

日野原重明先生はこの詩についてこう書いておられます。「病に苦しみ、自分の死が間もなく訪れることを知りながらも、静かにそれを受け容れ、病の身にあってなお自分の存在意義を感じた神谷さんは、いのちという時間を与えられ、その時間を他者に捧げることができたことに感謝して亡くなられたのです、…、たとえ苦境の中でも、与えられたいのちに感謝して、最後に『ありがとう』と周囲の人に言うことができれば、その人は人生に勝利したのだと僕は思います。」(『いのちの使い方』、日野原重明著)

人生、どこまで行っても神の助けがあることを信じ、今日の一日を感謝して生きていきましょう。

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