悔い改めとは(5月3日)世界で初めて飛行機で空を飛んだライト兄弟の父、ミルトン・ライトは牧師でした。彼はかつて説教の中で、「空を飛ぶのは天使に任せておけばよい」と語っていたそうです。しかし、息子たちが飛行機の実験を始めたとき、「人が空を飛ぶことなど不可能だ」という考えを改め、全面的に支援するようになりました。 聖書的悔い改めとはこのようなことを言います。「悔い改め」というギリシャ語「メタノイア」の意味は、「考えを変えること」です。日本語の漢字では、後悔して行いを改めるように思えますが、正確には「思いを新たにする」ことです。 イエス様が公生涯の第一声で、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)と言われたのは、「今まで神の国の到来は『遠い先のこと』と思っていた考えを、反対の『間近だ』に変え、この良き知らせを信じなさい」ということです。今日、「キリストを信じることにより、罪あるこの私のありのままの姿で救われる」と「悔い改める」なら、あなたは神の国のただ中にいるのです。 さて、ミルトン牧師は82歳の時、息子オーヴィルの操縦する飛行機に実際に搭乗し、空を飛びました。その際、「もっと高く、オーヴィル!もっと高く!」と喜んで叫んだというエピソードが残っています。あなたも、悔い改め、神と共に恵みの高みへと、人生を飛ばれますように‥。 |
神の愛と母の愛(5月10日)今日は母の日です。母の愛は、神の愛に最も近いと言われますが、それは一体なぜでしょう。 お母さんは、まだ何もできない赤ちゃんを、ただ存在しているという理由だけで命をかけて守り、愛します。この姿は、神の無条件の愛を最もわかりやすく映し出しています。 また、母の愛は、一元的なまなざしで愛する子を見ます。たとえ世間がその子供を「出来が悪い」とマイナスの評価をしても、母だけは「この子にはこの子にしかない輝きがある」と信じ抜きます。失敗しても、「それがあなたの成長の糧になる」と丸ごと受け入れます。このように、条件や比較、つまり二元で線を引かないまなざしは、神様が私たち一人ひとりを「最高の存在」として見つめる視点に極めて近いと言えます。 最後に、母の愛は、キリストの十字架の愛のように自己犠牲的です。イエス・キリストがこの世に来られたのは、人間の罪を引き受け、人が味わう苦しみを自分のこととして担うためでした。その究極として十字架があります。お母さんであるあなたも、子供の痛みや喜びを自分のこととして感じ、時には自分の眠りや食事、時間さえも惜しみなく捧げることでしょう。この心が、神の自己犠牲的な愛を彷彿とさせるのです。 母の愛と神の愛に感謝し、今週も喜びに満たされてまいりましょう。 |
あなたに何を与えようか(5月17日)その夜、神はソロモンに現れて言われた、「あなたに何を与えようか、求めなさい」。 (歴代志下 1:7) 何でも願いをかなえる魔法使いが現れるおとぎ話を聞いたことがあるでしょう。ソロモンは王になり、神に捧げ物を捧げたその夜、神ご自身の側から「求めなさい」と語りかけられました。これは彼の本心を試すための問いではなく、恵みの機会でした。 ソロモンは偉大な父ダビデの後継者として、神の民を治めるという大きな責任を担っていました。その務めは非常に重く、自分の力や知識だけでは到底果たせないものであることを、彼自身よく理解していました。そこでソロモンは、神から託された民を正しく導くための「知恵」を求めました。彼は自分の限界を認め、神の助けに依り頼んで歩む姿勢を示したのです。この願いは神に喜ばれ、ソロモンには知恵だけでなく、富や誉れも与えられました。神を第一とし、与えられた務めに忠実であろうとする者に対して、神は豊かに応えてくださるのです。 何を得るかの前に、神の前にどう生きるかを考えることが大切です。自分の力だけで進もうとするのではなく、神との関係の中で歩むとき、必要なものは備えられていきます。今週もそのことを覚えつつ、歩んでまいりましょう。 |
キリストの言葉を聞く(5月24日)人は音声を耳で聞いているのではなく、脳で聞いているのだそうです。礼拝説教中に、自分が今悩んでいることを考えていたりすると、その間、牧師の声が聞こえなくなる、あの経験です。脳が別のことにフル回転するので、音声認識が滞るというわけです。 それと同じことが、霊的な聞き方にも起こります。自分の考えだけがすべてだと思い込んでいると、神の声は耳に入ってきません。たとえば、祈りが応えられる経緯をシナリオ化し、自分の中で決めつけている人は、それとは違った動きを見せる現実に出くわすと、混乱します。そうなると、私たちの考えをはるかに超える御計画を持っておられる神が、人間が願ったこと以上の最善をなそうとして働いておられても、それが全く見えず、聞こえているはずの聖霊のささやきも締め出していることに気づきません。 変貌山でイエス様の本来の栄光の姿を見たペテロをはじめとする3人の弟子たちに、神は雲の中から声を発せられました。「これはわたしの愛する子である。これに聞け」(マルコ9:7)。これからはイエス・キリストの言葉を聞いて従いなさい、ということです。つまり、聖書を通して表されるキリストの言葉を聞き、それに従って行動することが私たちに求められていることなのです。 自分の考えにとらわれず、聖書を通して神のみ声を聞く生活を今週も送ってまいりましょう。 |
新しい事(5月31日)「見よ、わたしは新しい事をなす」(イザヤ43:19) イエス・キリストを救い主として心に迎え入れるとき、神は私たちの人生に大変革をもたらしてくださいます。 あるおばあちゃんの葬儀での出来事です。この方は、生前「意地悪ばあさん」として知られ、周りの人々はずいぶん振り回されたようです。ところが、ご家族の祈りが聞かれ、教会に来られるようになり、ついにイエス様を救い主として信じ受け入れるに至りました。天国への希望が与えられてからというもの、徐々に表情に変化が出始め、今思えば洗礼式の時が最高に輝いた時でした。というのは、その時に撮影された写真が告別式の遺影として採用されたからです。 葬儀の会場で、突然、「あらら、ウソ!これがあの人?」という声が聞こえてきました。どうやら、かの「意地悪ばあさん」の過去の被害者らしき方々からの声です。写真の中の、喜びに満ちた聖なる雰囲気さえ漂わせる笑顔と、自分の記憶に残るあの意地悪な顔が一致しなかったのでしょう。「こんなに変わるものなのか。まるで天女(てんにょ)のようだ」とつぶやかれ、手にした数珠を擦り合わせて祈っておられる姿が印象的でした。 神は、私たちの想像を超えるかたちで人を変えてくださるお方です。今週も「新しい事をなす」神と共に歩んでいきましょう。 |
2026年5月の霊想
